安倍晋三元首相の国葬は許されるか?

 安倍晋三元首相の長期政権を賞して国葬を行うというのは筋違いではなかろうか。自民党の総裁として群を抜く功績を残したのなら、自民党葬は当然かもしれない。しかし国葬というのはどうであろうか?

 決めてしまったから、今からでは修正はあり得ないと考えるのか。面子だけで政治をやっていくことが正しいのだろうか。それでは日本国民のための政治とは到底言えまい。どうも、これまでの推移を考えると、岸田首相は煮え切らない(自分では決断できない)性格であるようだ。安倍晋三元首相が統一教会との関係で狙撃されたという因果関係を重視すると、統一教会といまだに関係が切れていない議員についてはそれなりの対処があっても良いと思われるのだが、自民党としては一切関係ないという説明である。

 これまでに何らかの関係があった議員(自民党やほかの政党議員)たちも統一教会だと認識していなかったという見解で、世評やマスコミの追及を乗り切ろうという考えなのだろうが、統一教会霊感商法などで違法な金集めを続けていた事実は消えない。勝共連合として活動してきた統一教会の違法性を無視して、日本国内で活動してきた事実をなかったことにすることはできない。ましてや自民党は日本の政治を主導してきた政党である。

 

 どうも信教の自由という枠で、精神の自由を盾に統一教会の支持も得ることが正しいという論理をつらぬこうとしているが、それは違うのではなかろうか。残念ながら、統一教会が日本国内で行ってきた霊感商法をはじめとする違法行為を容認することはできない。統一教会の行為を正当化できる論理は果たしてあるのだろうか。自民党清和会は、どのように弁明するのであろうか。