地震で新年が始まりました

 ロシアとウクライナの戦争は3年目に入りました。パレスチナガザ地区でのハマスイスラエルの戦闘状態もなかなか終息しません。イスラエルのミサイル攻撃でイランの将軍が亡くなり、その報復攻撃もささやかれています。世界中で火種があり、あちらこちらで発火点に達しようとしています。能天気に構えていると、いつのまにか第三次世界大戦に突入という状況かもしれません。

 

 トランプとバイデンの再戦といわれる米国大統領選挙、プーチン大統領の再選がほぼ確実なロシア政界、習近平が終身の主席となった中国。なんとも変わり映えのしない国際政治の現状は、先行きの不透明感を払しょくできません。国際社会もそうですが、日本国内に目を向けると、自民党の政治資金パーティで集金したお金が裏金として還流しており、底の見えない泥沼のようにお金まみれになっている姿が見えてきました。日本の政界には、国民のために汗を流そうという政治家はいないのではないでしょうか。まずは自分たちの利権を確保して、というスタンスの人が目立ちます。まずは選挙で勝って自分自身の身分保障、そして永続的な利権の確保に精力を注ぐ。そんな政治の姿しか最近のニュースからは見えてきません。

 

 実質賃金は上がらないのに、諸物価はインフレ気味に推移している。食べるために働き続ける高齢者、結婚できない若者たち。政治に対する期待をほぼ失い、それでいて不満を抑えることができなくなってい庶民。なんとも刹那的な時間が経過しているような印象しかない。

 そんな中で、激動の年を予兆するかのような元日の震度7地震。なにごともなく、過ぎてゆけばと願うばかりである。

 

中流層を増やす政策を!!

1ドル=145.62円、8月16日20時における為替レートである。1ドル=74円という時代があったことを考えると隔世の感がある。日本経済は、コロナ禍からの復活によるインバウンドの増加で活況を呈している感はあるが、現実はどうであろうか?

 

 日米の金利差は拡大するばかりである。米国のインフレがなかなか収拾されないこともあり、日本経済は消費者物価の上昇期が続くものの、金利上昇に踏み切れない状況から脱出できないでいる。帝国バンクの調査によると、日本の主要な食品・飲料企業195社で今年値上げをしたり予定している品目は累計3万品目を超える。これは昨年の2万5768品目を大きく上回り、平均の値上げ率も今年は昨年比で1%増15%に達する。この物価高騰に賃金上昇が追い付いていないため、国内消費がなかなか増えてこないのである。株価は好景気を意識させる上昇カーブを描いてはいるが、日本経済の実態はそうはなっていないのである。

 

 しかも、これまで日本経済を引っ張ってきた自動車産業は世界各国の電気自動車への傾斜に対して追いついていない。これまでと同様の売り上げを期待できなくなっている。また自動運転技術に関しても、世界の最先端からは遅れ始めている。したがって、自動車産業はもはや日本経済をけん引する力がなくなっている。かつて栄華を誇った、代物家電や携帯電話、半導体部門で次々と敗退を余儀なくされた苦い経験が思い出される。日本は、今や世界を牽引する技術をほとんど有しなくなっているといってもよいほどあまりにも少なくなっている。しかも、30年以上実質賃金が上昇しなかったために、日本中の多くの家計には節約意識がしみついており、消費に向かえない現状がある。

 

 物価上昇に少しでも追いつこうと、日本企業は内部留保を崩しながら賃上げに動いている。けれども、商品値上げによる内需増は、原料費の値上げや買い控えにより思うようには増えていない。外需もまた為替安で増加しそうにないし、しかも競争力を失くしつつある。このように考えると、日本経済に明るい未来は見えてこない。残念ながら先行きを考えると期待はできないのである。

財源を決めないまま、防衛費増額????

 これは暴挙以外の何物でもない。ロシアのウクライナ紛争、台湾問題などで、防衛に関する危機意識をあおり、歴代を振り返っても突出している財政危機に直面している日本財政の不安定さを顧みることなく、防衛費予算の増額が決まった。しかししかし、この財源が明確になっていない。増税内閣支持率を大きく引き下げるのが通常もたらされる影響だから、岸田内閣は増税に関しては次年度以降の課題となったが、防衛費増額も既定路線である。

 

 これは、政権の大いなる傲慢以外の何ものでもないのではなかろうか。国民はどうにでもごまかせる。とりあえず、防衛費増額を決定しておけば、つじつまを合わせることは簡単であろう。これが現在の自公政権の姿勢である。議論を尽くすことなく、強行採決を繰り返す姿は、健全な民主政治を完全に逸脱している。

 

 安倍第二次政権から、少数意見に目もくれない多数派の横暴が始まった。官僚に対しても国会議員に対しても、マスコミに対しても、どうにでもあやつれるという無茶ぶりの自分たちの「正義」がまかり通り始めた。自分たちの意見を通していくことが政治だと勘違いしているようだが、所詮投票率50%を切る選挙でかろうじて過半数を握っているだけ。つまり裏返して考えてみると、なんと日本国民全体の25%足らずの支持率で、一部の富裕層向けの利益誘導が進められているのが、日本の現在の姿ではなかろうか。政治の実態に絶望感をいだいた無関心層を増やすことで、自民党政権は横暴を繰り返している。そのしっぺ返しをもろに浴びるのは、日本国民である。無関心であるがゆえに、それによる影響はすべて受けざるを得ない。そのことを日本国民は認識しているのであろうか?

投票率低下は続く・・・・

 統一地方戦が終わった。衆議院参議院1の補欠選挙が行われ和歌山で維新の会公認候補が当選したのを手始めとして維新の会が大きく躍進した選挙となった。また俳優の大泉洋の兄が函館市長選で現職に挑み大差で勝利を得た選挙でもあった。函館の投票率は、58%と全国でも高い投票率となった。というのも、全国の市長選の平均投票率は47.7%で過去最低となった前回の47.5%を上回ったものの、市議選は前回を1.3%下回り44.5%の投票率、町村長選は同じく前回比4.2%減の60.8%、町村議選はどう4.2%減の55.5%と過去最低を更新。

 市議選の獲得議席数を国政政党ごとにみると、自民党は前回比12増えて710、公明党は前回から10下回り891,立憲は増やして269、維新は108増やして154となった。一方、共産党は55減らして560、国民民主は30減らして65、社民党は23減らして30であった。今回はじめて選挙に出た参政党は67議席を獲得した。

 それにしても、どぶ板選挙となる地方選挙でも、衆議院参議院選挙の国政選挙と同様に投票率低下を招いているのは、政治家が意図的に国民を政治意識から遠ざけているような印象をもってしまう。わずか1週間の選挙活動では、覚えてもらうためであろうが、候補者の名前の連呼が耳に残る。多くの有権者にとっては、政治家の履歴や掲げている公約を吟味する時間もあまりなく、そして代わり映えしない日常の中で、自らの参政権行使にさほどの意義を見出すこともない。聞きなれた候補者に投票するか、知人に勧められた候補者の名前を書くだけに終わるのである。

 選挙が終われば、4年の間あまり政治の恩恵を受けることもなく、それどころか最近では税金や社会保険料の値上げに苦しめられているのが実情である。地方政治家も自分たちに直接困りごとを持ち込んでくる有権者にはできるだけ目に見える努力をしようとするが、しょせん一人ひとりの希望を十分に実現できるところまではいかない。それは国政レベルではなおさらであろう。

 大阪を中心に維新の会が勢力を広げているが、現在のような小選挙区制では、野党が分裂して戦う構図では。自民党の一強体制が崩れないであろう。とすれば維新の会の勢力拡大は結局自民党政権を補完する形でしか、完結しないのではなかろうか。残念ながら1990年代に二大政党制を夢見てなされた選挙改革は、有権者の政治離れを加速させただけである。選挙制度を改正することは難しいが、民主主義の形骸化を防ぐという意味で、投票率を引き上げる算段に本気で取り組まなければ、日本の民主主義は崩壊せざるを得ない。政治家は自らの力を振り絞って、民主主義の継続のために力を注ぐ必要が今こそ求められているのではなかろうか。

 

 

防衛費増額か子育て優先か・・・・、それこそ選挙で問うべきことではないのか

 防衛費の増額が、既定路線のようになっている。正式には2027年度までは増税なく防衛費を増やしていけると政府はのたまわっているが、増税うんぬんよりも、防衛費の増額ははたして国民の望むところなのであろうか。ロシアのウクライナ侵攻、はやくも一年を迎えようとしているが、それにからまして北朝鮮の度重なるミサイル発射や、中国の軍備増強の報道をこれみよがしに利用することによって、軍備増強が正当化されているような状況だが、果たして国民が本当に望んでいる事だろうか。

 

 今朝の朝刊では岸田首相は子育て予算の倍増を実現するために、社会保険からの支出や地方財源をあてにするような報道もでていた。防衛予算の増額と子育て予算の増額、その財源をどうするのか。1200兆円というGDPの2,4倍近い財政赤字を抱える一方で、政府に対する支持をつなぎとめるための政策を次々に打ち出すのはかまわないが、限られた財布の中身を考えることもなく、国民の関心を引き留めるため思い付きを次々に打ち出すのは中央政府としての姿勢としてはいかがなものであろうか。

 

 考えてみれば、統一教会との結びつきからテロの犠牲になった安倍元首相も、肝心の政策選択という部分では、国民に政策の優先順位を問うような行動は起こさなかった。政権政党である自民党は長年政権を担っているが、政権政党として政策を行う際に選挙を利用して国民に政策実施の成否を聞くことはしてこなかったように思う。政党として、選挙前には国民受けするようなマニフェストを出していたものの、実際の政策遂行においては、本来国民の意見を聞くべき必要性がある政策の優先順位を問うようなことはまるでなかったように思われる。今回の防衛予算の増額についても、うがった見方をすれば、ロシアのウクライナ侵攻を利用して、日本国民の防衛に関する不安意識が芽生えたような印象を与えるが、唐突に表面化したように思われる。これもアメリカとの密約による戦闘機や対空防衛システムの購入費などとの見方が強い。

 

 その一方で低迷する内閣支持率を上向かせるために、子育て世代の支持を狙って打ち出された政策であるが、残念ながら予算は限られている。だからこそ政治による優先順位を決定することが求められるのである。限られた金額をどのように配分するのか、それを決定していくことが政治の本来の役割である。政策決定による責任を負うことで、政治は国民の信頼を担っていくのではないか。選挙はそのために行われるはずである。今年は幸いにして4月に全国各地で地方選挙が行われる。中央政党の存在価値を問うという意味においても、地方選挙で財政の在り方を問うても良いのではないだろうか。政治の本来の役割を考え直すという意味においても、財政の配分をどうするのか審議する土台を作り上げて論議を重ねても良いのではないだろうか。地方選挙を使って、中央政界の存在価値を議論しようではないか?

防衛費よりは、国民の生活費の拡充が優先

岸田首相が2027年度には、防衛費をGDP比2%にするように指示した。総合的な防衛体制の強化ということで、研究開発、港湾などの公共インフラ、サイバー安全保障、国際協力の分野の予算と合算ということであるが、財政がパンク状態のなかで防衛予算を突出させるのは何とも解せない。迎撃ミサイルの購入や、空母の保持など、防衛費の拡大は自民党タカ派がかねてより主張していたが、今年に入りロシアのウクライナ侵攻による影響もあり、北朝鮮のミサイル発射実験も度重なるなかで、防衛費の増額が安全保障上必要であるという強硬意見が高まる傾向に呼応してでてきたのは間違いないのだが・・・。

 

 しかるに、賃金が上がらない中で、食料品をはじめ日用雑貨など軒並み値上がりしている状況の中で、もはや庶民の家計はこれ以上節約ができないほど厳しい状況に追い込まれつつある。予算作成における優先順位を考えると、国民の身体的安全を守ることが先か、それとも座して餓死を待つべきかというところまできているのである。アメリカでは、8%を超えるインフレが続いているが、それでもその中で生活するだけの賃金をもらっている人は多い。またたとえ失業していても食料品の無料配給制度がある。日本は賃金が上がらない中で、インフレに突入しはじめている。水道光熱費に対する補助が検討されているが、それでどれだけの人が救われるだろうか。

 

 もう少し別の観点から見てみよう。防衛費の支出の多くは、自衛隊員に支給される賃金もあるが、戦闘機をはじめとする兵器や爆弾などを製造する企業に支払われる費用も結構あるが、そのほとんどは米国の企業である。つまり、日本の企業を潤すようなものではないのである。また、日本の企業は、長年従業員の賃上げに消極的であり、それがまわりまわって商品価格を引き上げられない要因となり、新製品のための投資意欲を欠いて、日本経済を衰退させてきたのではないか。日本政府は、経済の活性化のための効果的な政策をこの30年余り打てていない。今や日本経済の構造を考えたとき、強みとなる産業、技術はどんどん消失しているといっても過言ではない。残念ながら防衛費を増額しても、国民の安全保障が完全にかばーできるだけのものではない。財政に余裕があれば、防衛支出もあるかもしれないが、今は残念ながらその時期ではないのではなかろうか。

 

 家計のセーフティネットたる、社会保障費も必要額には程遠い。それならば、家計の消費支出額を増大させる手を考えるべきではないか。ベーシック・インカムが難しいなら、安心して余生が暮らせる家計防衛のための社会保険料削減や、最低限度の生活を維持できるだけの予算を確実に組むべきである。

安倍晋三の国葬、今更ながら反対

 国を二分する結果になった55年ぶりの国葬の実施。安倍晋三氏は罪作りである。就職氷河期を抜けて、正社員として就職できた若い人たちは収入が伸びなくても、安定した生活を提供してくれた安倍晋三元首相への感謝を語るのか。それとも、アベノミクスがもたらした大幅金融緩和による1000兆円を超す赤字国債の垂れ流しなのか。皮肉にも、国際経済において、孤軍奮闘の金利引き上げを拒否し続けている。

 

 インフレが進む欧米の経済状況は、欧米各国が競って金利を引き上げないと行き詰るところまで来ている。日本は円安ドル高を忌避したいところだが、金利を引き上げれば積みあがってしまった赤字国債金利の上昇を回避できないため、欧米各国の金利引き上げには追随が不可能である。つまり、日本だけが国際経済の動きには同調できない状況になっているのである。これを安倍晋三氏の功績と採るか、残念ながら失策と採るかは、日本国民の選択である。しかし、どのように考えるかなど、今となってはあまり意味がない。

 

 それよりも何よりも、日本経済の危機をどのように乗り越えるかである。それは、日本国民が、可能な限り金利上昇を余儀なくされる前に、借財を減少させることで可能になる。しかし、その可能性は限りなく小さい。日本国内の経済格差の拡大が、日本経済の発展の阻害要因と化しているためである。富める者だけが、豊かになっていく経済構造は国民をますます貧困化させる。

 

 振り返って考えてもらいたい。高度経済成長の要因となったのは、一億総中流という条件があったからではないか。隣の芝生を気にしながら、可処分所得が増えれば、競い合うように消費にお金を回す余裕があったからである。今や明日食べるために働くしかないなくなっている家計の余裕のなさを、どのように克服することができるのか。将来の夢を考えることさえ断念して、日々を諦めの中で過ごしている国民が増えているのが実情ではなかろうか。

 

 GDPを増やすには、消費の増大が必要なのだが、それを可能にするのは可処分所得の増加ではなかろうか。昨年の国民一人につき配布された特別給付金10万円は、将来の生活不安を払しょくできないまま、退蔵された場合も多かっただろうが、これが永続的に支給されるようになれば、将来を気にせず消費支出として使われたのではないだろうか。総需要が増えるような経済政策が実行されること。日本経済の復活はそこから始まるのではなかろうか。