安倍晋三狙撃はテロだったのか?

 統一教会に対する狙撃した犯人の供述を信頼するならば、安倍晋三元首相と統一教会の密接な関係を恨んだ犯人の犯行という図式が浮かんでくる。

 そうなると民主主義に対する挑戦、民主主義に対する暴力行為だという考えは薄らぐ。政治的な動機というよりは、私的な怨恨に基づく犯行と考えるほうが納得がいくというものである。

 

 安倍晋三狙撃事件に対する一連のマスコミ報道は、まさに民主主義に対する暴力はありえない。という論調で事件直後から進んだ野党幹部のコメントもおおむねその論調で進み、それがゆえに選挙戦終盤で与党に対する批判は縮小してしまったような感がある。それはそうであろう。安倍晋三元首相は民主主義の殉教者のような扱いを受けて、今や国葬を行う必要があるという主張まで登場してきた。

 

 申し訳ないがここまでくれば滑稽でしかない。日本的な情緒に流される傾向が露骨にみられるようになってしまった。そして今になってその時の警護体制が通常ではありえないという意見も出てきた。警護対象者の背後があまりに無防備であったこと。そして犯人が背後3mに近付くまで認知しえなかったお粗末な警備体制が露呈した。それは、言い換えればわざとこの事件を発生させた可能性もありうると言っているのと同じではなかろうか。

 

 今回の安倍晋三元首相に対する狙撃事件は、不可解な部分が多すぎる。そして、物価高に対する責任を問われることを回避した与党自民党がある。野党が強力な政策を打ち出しえないが故の体たらくといった考え方もあるが、自民党に少なくとも3年間の政策運営をゆだねざるを得なかった要因を作り出したことは間違いない。