物価上昇は続く

 原油価格が1バーレル110ドルを超えている。日本政府は元売り会社に、助成金を出しているから、国内のガソリン価格は上昇していないが、円安ドル高という為替安も相まって石油元売り会社は、どこまで商品価格を引き上げるべきか、どんどんさじ加減が難しくなっている。

 

 小売り段階での商品価格の上昇も進んでいるが、価格を上げずに内容量を減らすといった実質値上げもあるし、サントリーがペットボトルの10月からの価格改定を発表したように、これからコスト改定が行われていない商品についても値上げラッシュとなる可能性は高い。残念ながら、企業間で取引されているモノの価格が、歴史的な高水準で推移しているためである。日本銀行が先日発表した4月の国内企業物価指数は前年同月比で10.0%上昇した。

 

 基本的には、原材料高による商品価格上昇だが、そしてエネルギー資源高騰による物流コストの上昇があり、消費者物価の上昇も2%を超える勢いである。企業物価の上昇に耐えてきた企業も、際限のない仕入れ価格の上昇には耐えきれなくなり、小売り段階の商品価格はさらに上昇しそうである。

 

 そしてぎりぎりまでコスト上昇に耐えてきたがゆえに、企業には人件費負担を増やす余力は残ってなさそうである。トヨタをはじめ輸出による円安黒字を決算で記録した企業も、部品の調達などにおける価格上昇による次の決算への影響が読めず、さらにはロシアのウクライナ侵攻にともなう銀行の与信費用の積み増しなど経済に悪影響を与えかねない状況が消えない。

 

 しかし家計を基準に考えると上がらない賃金(可処分所得)がある一方で、光熱費の上昇や食料品・日用雑貨など様々な諸物価の高騰で、多くの家庭が火の車といったところではないだろうか。日本経済全体を考えれば、現在の金融緩和政策を続行するという姿勢を変えないようだが、はたして庶民の生活は何とか持ちこたえていくだけの余力を持ち合わせているのであろうか。

プーチン支持率8割を超える?

 価値観の違いであろうか?。プーチンのロシア国内での支持率が8割を超えるというニュースを耳にした。NATOをはじめとする西側諸国の情報では、どのように考えてもロシアのプーチン大統領は、何を血迷ったのかロシアの過去の栄光の再来を願って、ウクライナに無謀な侵攻を行い、ウクライナの国民を虐殺しているとしか見えないのだが、ロシア国内ではプーチン大統領ウクライナで抑圧されていたロシア系住民の解放戦争として報道されているのである。

 

 中国の新疆ウイグル地区の人権問題でも、中国国内では中国政府が行っている非道は報道されていないのであろう。報道統制がなせる業といえば、ある程度理解せざるを得ないが、それでもこれだけインターネットが普及し、個人の人権を尊重しようという意識が高まっていると考える時代になっても、残念ながら情報統制は行われており、政府権力がそれなりに力を持っている社会では、国民の人権など風前の灯火でしかないのであろうことがよくわかる。

 

 歴史の進展が、個人の自由を最大限に広げているという解釈も、通用する地域は限定されているかもしれない。そうであるならば、単なる自己満足ではないかと思えるのだが、それでも人類は満足するべきなのだろうか。

 

 残念ながら、少し進んでは、逆戻りする。これも人類の宿命かもしれない。どういう解釈をするのか。前向きにとらえるべきか、それとも悲観的に納得せざるを得ないのか。これは私たちが、どのように納得して受け入れていくかという、私たち自身がそれなりの評価を下すしかない問題なのかもしれない。

 

武器をとるのか、無抵抗主義で行くのか

 ロシアのウクライナ侵攻は、平和ボケしている日本人にとって別世界でしかないのかもしれない。唯一、というか私たちに突き付けられている問いを真剣に考える時間をとらないと、今回のロシアの蛮行は、日本に何の教訓ももたらさないであろう。それは、ウクライナで実施されている多くの男性はウクライナ国内に残留しているという事実である。祖国の危機に対し、自分たちの愛する肉親たちを守るという意思を貫くために武器を持って戦っている。

 

 はたして自分の身にこういう状況が訪れた時、私自身はどうするであろうか。銃をたとえ攻め込んできた敵であろうと人に向けて撃つという行為は、簡単に言えば殺人である。戦争下においてはやむおえないといえど、武器を持って戦うということは、殺しあうことにすぎない。頭でそれを拒否しながらも、そののような状況を果たして受け入れることはできるであろうか。

 

 自分一人であれば、無抵抗主義は現実になりうると思うのだが、自分の肉親に危害が及ぶとなれば、何らかの抵抗は行うと思われる。究極の選択をすることになるかもしれない。これはきれいごとで理屈付けされないかもしれない。真剣に悩んで結論が簡単に出るものではない。戦争下の戦いのさなかでの殺人云々というだけでなく、人間が人間を理由なく(国としての理由付けはあるかもしれないが)傷つけあうことの意味を考え抜くことができるであろうか。

 

 20世紀前半に行われた2度の世界大戦を経験して、人類は戦争の愚かさを十分に経験し理解したはずである。それが50年近い冷戦を経て、大きな熱い戦いを生まない素地を作ったはずである。ヨーロッパ連合の成立は、ヨーロッパに二度と戦火をもたらさないがゆえに生まれたはずである。その人類の進化の成果を踏みにじるような暴挙がロシアのウクライナ侵攻である。ここで、人類は再度自分たちの愚かさを認識し反省することを求められている。

 

 そしてもう一つ気にかけておくべきことがある。ロシアのプーチン大統領の支持率がここにきても8割程度あるといわれている。これは情報が統制されているためであろうが、これだけインターネットが発達しても、正確な情報を獲得するための方法が限定されていることは驚くべき状況である。人類はその意味において進化は止まっているのであろうか。1世紀前と比べても進歩していないとしか考えられないのが残念である

ロシアのウクライナ侵攻から1か月

 エネルギー資源を算出するロシア。軍事侵攻を絶対認めるわけにはいかないがゆえにロシアにNOを突きつけなければならない西側諸国。さりとてウクライナに対する支援は、武器供与にとどめておかないと、軍隊を送り込むようなじたいになると第三次世界大戦の勃発を引き起こしかねないリスクを生じる。したがって経済制裁を続けるしかないのである。そこが子のウクライナ侵攻が長引きそうな雰囲気を醸し出す。ロシアにすれば、いなプーチンにすれば、何ら成果を得ることもなく、この幕を引くことになれば自らの政治生命を縮めるだけである。ここは何としてもウクライナ軍事侵攻の果実を手に入れたい。やみくもに活路を見出すための手段として、化学兵器核兵器が俎上に上がってきても不思議ではない。核兵器がもつ抑止力、人間が有する英知、そういったものが極限まで試されることになるのであろうか。

 

 なんとか西側諸国はこれ以上戦火が広がらないように、さまざまな努力を重ねてはいるが、経済的な制裁にとどまっているがゆえに、局面を変えるには至っていない。米国のバイデン大統領にすれば(西側諸国の首脳ならだれもが該当するかもしれない)、ウクライナ問題を自らの手で解決できれば、政治生命を引き延ばすチャンスなのだが、残念ながら有効な解決策を提示できていない。我が国の岸田首相においても、G7首脳と足並みをそろえることでしか現在の国際舞台に立てていないようである。

 

 人類の進歩は、第二次世界大戦後欧米におけるEUの誕生で、二度と戦火を交えないという方向に足並みをそろえ、それぞれの国々の利害を調整して統合の道を歩み始めたように思えたが、21世紀に入って以来欧米各国ではナショナリズムが息を吹き返し、経済的豊かさが享受できなくなると不満が拡がり出した。そして、不協和音のほうが大きくなってきた。懐が寂しくなると、浅ましさが顔を出し、せっかく心の余裕を見出し始めたところで、時間を巻き戻してしまったようである。