昔の職場に復帰?

 なんの因果か、昔の職場に助っ人を頼まれて、来年の3月まで手伝うことになった。ロートルの手だすけが必要になるほど、若手が育っていないのか、組織の弱体化が進んでしまっているのか、代わりの人をなかなか見つけづらい世の中になってしまった。小学校や中学校では、非常勤教師を確保するのに悪戦苦闘しているというニュースが話題になり、挙句のはては80歳を過ぎた非常勤の先生が小学校で働かざるをえなくなっているという。

 

 このような現象は、少子高齢化の影響で生産人口の高齢化が進んだせいだろうか。資本主義の利益だけを追求する姿勢が、日本の場合は人件費削減という自らの首を絞めるような形を生んだのではなかろうか。人件費コスト削減を究極的な目標とし、労働果汁を防ぐためにその場しのぎの対応を続けてきた結果が、どんどん現場を疲弊させていった。コスト節約を目標として、人件費削減を目標に正社員を減らしていくと、その反動というわけではないだろうが、管理責任を負わせられない非常勤の職員を帳尻合わせのために増やし続けることになるが、それがゆえに正職員の責任の比重が高まっていった。結果的に人件費コストは抑制されることになったが、現場職員の士気は低下せざるを得なくなり、組織としての収益拡大は望めなくなった。そんな状況が失われた30年続くことになる。

 

 原材料コストの値上げ圧力に対し、国民の消費需要の上昇が見込めなかったがゆえに、人件費の上昇を抑え込んで(賃上げ抑制)きた日本。その結果として、失われた30年として賃金がほとんど上がらない日本特有の現象を国民は甘受せざるを得なくなった。失業率が低下して、株価が上昇したアベノミクスは、結果的にごく一部の富裕層を潤わさせただけで、日本国民の多くは貧困層に落ち込んでいった。その間、教育費は上昇し、社会保険料も増加し続けた。賃金が上がらない上に、教育費や医療費は上昇傾向であった。

 

 いま、コロナ禍の影響で原材料があがり、原油価格が上昇を続け、ほとんどあらゆる生活用品の価格が上昇し、しかもGDPの2倍を超える赤字国債をかかえ、金利を引き上げることさえ不可能な状況にある。これでは国際社会がコロナ後の世界を模索し始めたにもかかわらず、日本はその追随すら許されないのである。「